この騒ぎから、得たもの

 

すべての出来事には、良い面と悪い面、ポジティブとネガティブな面がある

いろんな方がそう言ってますよね

 

すべての出来事は、必然で、意味がある、

それは、神様からプレゼント、とも言える

 

そう、このコロナウィルスですら、、

なにかを私たちに教えてくれる、タイミングであるはずなのです

 

これを読んでいるあなたも、なにかを必ずそこから得ているはずです

いまはまだ分からない、かもしれません

 

今日は、私が得たもののお話です

簡単に、一言でいうと、

身近にいた人たちのこと、

イタリアってそうなのかーーって、新しいことが分かる機会になっています。

 

 

イタリアに住み始めた私ですが、

保守的な人たちから差別的な扱いがあり、どうしたものかと、思っていて、

そのときに理解して、どうしたらよいかと一緒に考えてくれたのは、別の外国人たちでした。

 

彼らは、仲間のような気すらしていたのだけど、、

でも、今回のウィルスで、私を怖がって避けてきたのは、この人たちだった。

 

そうか、状況が変われば、変わるんだ、

敵は彼らの中にある恐れなのか、と。

 

ウィルスのことで、避けてきた人たちのことを、正確な情報も知りたかったので、イタリア人の別の知人たちに相談してみると、

そう、彼らは外国人だからね、と彼らの弱点が問題にあがってしまうのだけど、

いや、そういうことではないはずなんだけど。

 

恐怖に囚われたとき、人はおかしな行動をとる、判断を誤るのです

客観的に見ると、不当な、おかしいものでも、

彼らにとっては、どうしようもない恐怖であったり、

コントロール不能なもので、

そこに抗議したところで、傷に塩を塗るようなもの、、

ビックリは大きかったですが、どうしたら良いか、

そこはまだ見えていないので、様子をみてます

 

ウィルスのことで、簡単に分けると、

恐れる人と、冷静な人の二極に分かれた気がします。

後者は、やっぱり強い人。

 

冷静な判断ができる人は、

年齢問わず、運動していたりと、

健康的な人が多いのかなって、感じているところです

 

別に強い人が良いとか、そういうことじゃないけど、

一緒に何かプロジェクトしていくなら、こういうタイプの仲間が必要です

 

さて、もう一つ。

ウィルスのことで、感じたこと、

イタリアの教育レベルは、日本より低い、のではないか。

 

そうか、、通りに犬のふんを放置するのが多くて困る、マナーが悪い、、

とは思っていたけれど、

マナーは、教育レベルに、ある程度、比例するのかもしれない

 

日本は日本で問題あるけれど、やっぱり平均は高いし、

それはイタリア人から見ても、そういう風に見ている

 

こちらには、食事をする前に、手を拭く習慣はないらしく、お手拭きは出てこない。

手を洗わない人が多いんだろう、、、

いや、感染するよ、と思うんだけど。

外ではトイレが有料であることもあって、頻繁に手を洗う、難しいかもしれない。

 

その辺の道で、食べているが、とても多い、のを日々見かけます。

いや、そこ、よく犬がトイレしている場所じゃないか、、

と思うようなところに、彼らは普通に座っている。

気にならないのかもしれない。

街が汚いなと思うけど、彼らにとっては普通なのかもしれない。

 

私が教えるのが上手だということに気が付いた知人に、イタリア語できるようになったら、数学を教えるのは、すごく需要があるよって言われた。

みんな、試験のときに、数学できなくて困るらしい。

そうなのか、イタリア。

 

掃除をするとか、給仕とか、あまり人気のない仕事は、イタリアでは近隣の外国人が行っているので、

日本とは、すこし仕事事情が違う。

どこかの受付の仕事とか、そんなに教育を受けていないイタリア人たちが働いていたりするのです。

なので、博物館で働いていても何もしらない、勉強してない、ひどい対応のお局が牛耳っていたり、

あれって思っていたものが、繋がってきました。

 

イタリアの将来を考えたら、必要なのは、もっと高い教育なんじゃないの??

お友達の神父に言ってみた。

彼は神父のなかでも、とても賢い人の一人です。

そうなんだよ、そう分かっているだけど、それを恐れる人たちが沢山いるのだと。

 

イタリアは、外国人を受け入れてきた国です、すごいですよね

中国人はたくさんいて、彼らの働きで、助かっている部分はイタリアには沢山あると思われます(私はその辺の詳しい人ではありません)

けれど、今回、ウィルスのことで、彼らを非難する人たちがいる。

日本人でも、ひどい言い方をしているのを見ますが、、ウィルスが日本に来る中国人経由で届くとしたら、それは、交易しているからであって、、

別に直接的に彼らだけが悪いわけでもない。

 

海外から来る人達には、優秀な人もいるし、お金を持っている人たちもいる、

そういう海外からくる大きな影響を恐れる人たちが、年配層には多いと。

日本に比べたら、すでに沢山いるし、イタリアすごいなと思いますけどね。

 

まだグレーなのですけど、どうやら、

教育のレベルを上げていく、ということと、外国人を受け入れる、なにか繋がっていることのようです。

 

そして、昔は、教会は、教育の中心だった、はずですね。

いま、どうして、教会の神聖なエネルギーがこんなに下がってしまったのか、

いつも考えていたけれど、

すでに、いまはその中心ではなくなってしまった。

難しい時代になって、

高齢化が進み、限られた人数しかいない神父さんたちは、それを維持できない。

そういえば、若手には、外国人の神父さんがどうしても多い。

でも、イタリアより貧しい国から来ている人たちは、やっぱり、ちょっとそういう目で見られてしまう。

彼らは、それを超えるだけの凄いところを見せる必要が出てくる。

 

中世、ルネサンスなど、当時の卓越したレベルの芸術が、

なぜ教会や、また市の建物などにふんだんにあるのか、

たんに楽しみのために、権威を示すためだけであるとは思えず、

彼らは、そこから得られるパワーによって守られるというのを感じていたのではないかと、思っているのだけど、

もう、長い時間が流れ、、

そのエネルギーが残っているところは、限られています。

イタリアの膨大な歴史のことをあげはじめると、

ここは、外国人には、なかなかイタリアの奥深い歴史を理解するのが簡単ではなく、

外国人の弱点です。

彼ら以上に理解しないと、外国人で認めてもらうのは難しいのではと思いつつ、

私は日々、勉強してます。

 

なにをしに、この世界に来たのか、自分は何をしようとしているのか、

それを見極めるための、ヒントなのかなーーと思いつつ、

まだまとまらないけれど、得たものを眺めています。

 

 

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