いま思い出しても、嫌な人だったと、正直なところ思う。
そんな記憶は、ないですか??
私は、そんな記憶をちょうど思い出していました。
あのときの、一緒に働いてた人、嫌な人だったなーーーっていう。。
ただ、
そして、
そこにそれなりに、留まってしまっていたということは、
私自信が、周りからのサインを見つけるという学びを出来ずに、
とどまっていたという証拠でしかないのです!
自分が、その現実を引き起こし、
サインが来ているのに、我慢を続けていたわけですよね。。
8年前の震災の時期にも、
えーーって、びっくりする発言、言われた嫌なことを、
いまでも、思い出します笑
びっくり体験には、いろんな学びが、
場合によっては、一つだけでなく、何個も隠されているんでしょうね。
自分の中で、はっきりできなかったこと、
こうしなければいけないって思ってたこと、
嫌なものすら、受け入れないといけないという自分にしてしまっていたこと、
また、端からみると、こういうことは自分でやらないでおきたいという思いの学び、
考え出すと、際限なく、学びらしい課題は出てきます。
どれが、メインか、当たりか、、分からないくらいです。
そんな嫌体験、結構持っているんじゃないでしょうか。
嫌なことも、こうして思い出すことで、学び直し、
次へ進んでいくのだと思います。
思い出してみて、
嫌だと思っているうちは、
そこにまだ何かが残っているということです。
課題を解放し、自分をより開放し自由になっていくと、
この体験があって、この学びがあったのか、
すべては、愛と感謝に繋がっていきます♡
嫌な悪役になってくれた人、なんの繋がりのない人に比べたら、
実は、魂の繋がり、強いんだなって、思うこの頃です。